3.11 震災の記録

3.11 震災の記録

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2011年3月11日 
午後2時46分

揺れる、揺れる。揺れが止まらない。 経験したことのない揺れ。反射的に強烈な不安に襲われる。

市内は、サイレンの音がけたたましく鳴り続け、津波警報と待避を促す放送が繰り返される。直ぐに従業員達を集め、自宅避難を命じ帰宅させる。 

会社横の鹿折川の水は上流に向かって流れている。

屋上へ駆け上がり港の方を見ると水煙と土煙が上がり、真っ黒な海水が工場や家々を飲み込み破壊する音がすさましい。

数台の車が川沿いの道を猛スピード行き過ぎて行く。

川からあふれ出した水と車を追いかける水、重なり合ったところで車は見えなくなってしまう。一瞬の出来事なのに長い衝撃の時間。 道が水路となり、轟音と共に破壊された建物の残骸や屋根、車までもが濁流とともに上流へ運ばれていく。あっという間に、濁流が会社の三階近くまで達する。

あまりの出来事に、ただ茫然とし、今起こっていることが十分に認識できず、頭の中は混乱すらしていない。映画を観るように静かに眺めている。

気がつけば、あたりは夕暮れに。激しい爆発音が至るところで起こり、時には火柱が上がる。窓越しの顔を赤く熱く照らす。確実に炎が迫っている。夜の帳とともに炎の恐怖が迫る。 階段の汚れを見ると、水の潮位や流れが弱まっているようだ。覚悟を決めて、胸まで海水に浸かりながらに遠くに微かに蠢く明かりを目指して歩き始める。 三月の海水は身震いするほど冷たい。

翌日

会社の建物は残っている。これからのことを考えることが全くできない。この街がどのようになったかをまだ十分に理解できないまま、泥だらけの靴で、焼け焦げた臭いの漂う破壊された街をさまよう。

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数日後

この状況では何の見通しも立たないので、一旦、全員の解雇を社員に伝え、会社再開の準備を始める決心する。

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その後
10月

冷蔵庫およびサンマ凍結庫 一部再始動

凍結庫再開に伴い鮮さんま原料の買い付け再開

11月

生産再開へ向け準備、これより各地に営業開始。

報道ステーション出演。

12月

会社施設の乾燥機の修理および移動。

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原料さんま 初出荷開始。

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震災後水揚げされたサンマで、創業当時の天日干し製法により、冷蔵庫の屋上で「サンマみりん干し」生産再開。

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2012年 2月

みりん干しに続き、「さんま南蛮漬け」、「サバみりん干し」順次生産再開。

補助金等が認められ本格的な復旧活動開始  

3月

各地の復興支援イベント販売や物産販売に奮闘。

以後、東京、大阪中心に営業活動に励む。

ミュージックセキュリティー 被災地支援ファンド始まる。

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2013年 8月

天皇杯受賞品 「さんまくん」 生産再開。

2014年3月

「さんま生姜煮」生産再開。

工場の復旧工事完了。

2017年5月 区画整理事業に伴う工場移転

この様に、私達は、これまで経験をしたことのない大災害に見舞われました。幸い、社員やその身内も含め 犠牲者はありませんでしたが、街は破壊され、会社は大変な損害を被り、従業員達も解雇されなければならない、まさに、塗炭の苦しみとも言う様な人生の危機に直面しました。

しかし、その反面、県内外から多くの方々のから、ご支援、ご指導、ご鞭撻、ご協力を頂き、人の暖かさに触れ、繋がりの大切さを考えさせられながら、今日を迎えることが出来ました。これもまた、非常に貴重な経験となりました。

このように、多くの方々の助けが無ければ今日は無かったと、本当に感謝しております。 長い年月をへて、生産ラインは復活しましたが、本年の5月には地区の区画整理事業の為、復活した工場社屋を移転せざるをえませんでした。震災では、生産設備を失うと同時に多くの取引先も失い、多額の借金も抱え、まだまだ再建途上です。

これまでご支援、応援して下さった皆様に感謝申し上げますと共に、今後は、 震災以前よりも会社を発展させることを目指しこれまで以上に鋭意奮闘努力して参りますので、今後共、引き続きご支援応援賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。